Wesley United Methodist Church Japanese Speaking Ministory


はじめまして   メッセージ




Wesley United Methodist Church

1350 Hunakai Street, Honolulu, HI  96816
Phone:  (808) 737-3444 (Text or Call)
Japanese Pastor : Enoch KazutoYamada




輪の広がる教会

2023年1月1日元日礼拝

ヨハネの福音書 2:11~22

12 しかし、この方を受け入れた人々、すなわち、その名を信じた人々には、神の子どもとされる特権をお与えになった。
13 この人々は、血によってではなく、肉の欲求や人の意欲によってでもなく、ただ、神によって生まれたのである。
14 ことばは人となって、私たちの間に住まわれた。私たちはこの方の栄光を見た。父のみもとから来られたひとり子としての栄光である。この方は恵みとまことに満ちておられた。
15 ヨハネはこの方について証言し、叫んで言った。「『私のあとから来る方は、私にまさる方である。私より先におられたからである』と私が言ったのは、この方のことです。」
16 私たちはみな、この方の満ち満ちた豊かさの中から、恵みの上にさらに恵みを受けたのである。
17 というのは、律法はモーセによって与えられ、恵みとまことはイエス・キリストによって実現したからである。
18 いまだかつて神を見た者はいない。父のふところにおられるひとり子の神が、神を説き明かされたのである。
19 ヨハネの証言は、こうである。ユダヤ人たちが祭司とレビ人をエルサレムからヨハネのもとに遣わして、「あなたはどなたですか」と尋ねさせた。
20 彼は告白して否まず、「私はキリストではありません」と言明した。
21 また、彼らは聞いた。「では、いったい何ですか。あなたはエリヤですか。」彼は言った。「そうではありません。」「あなたはあの預言者ですか。」彼は答えた。「違います。」
22 そこで、彼らは言った。「あなたはだれですか。私たちを遣わした人々に返事をしたいのですが、あなたは自分を何だと言われるのですか。」
23 彼は言った。「私は、預言者イザヤが言ったように『主の道をまっすぐにせよ』と荒野で叫んでいる者の声です。」
2023年、明けましておめでとうございます。



ことばは人となって、私たちの間に住まわれた。
ヨハネ1:1 1 初めに、ことばがあった。ことばは神とともにあった。ことばは神であった。ヨハネの福音書のはじめの一節の言葉です。14節には、ことばは人となって、私たちの間に住まわれた。と書かれています。
ことばから始まりそれは人となった。その人とは人間となられた子なる神イエスのことです。今、イエスは私たち一人一人のうちに聖霊として共にいてくださいます
私のあとから来る方は、私にまさる方である。


HE>i (HE is greater than i)このロゴマークをハワイでは良く見かけます。Tシャツや車に貼るステッカーにも使われているロゴマークです。バプテスマのヨハネの言葉をロゴマークで表現したものですね。
いつも自分の力で自分を誇ることのないようにこの言葉が教えています。自分の力で達成したように私たちは考えますがその背後には聖霊の助けがあったとことを忘れないでいたいです。今年も主に委ねて聖霊の導きを祈り求める日々を送りましょう。


私たちは恵みの上にさらに恵みを受ける。
16 私たちはみな、この方の満ち満ちた豊かさの中から、恵みの上にさらに恵みを受けたのである。素晴らしいことばです。私たちが色々な問題を乗り越えるためにイエスの満ち満ちた豊かさの中から恵みが豊かに溢れています。この新しい年2023年に皆さんがイエスの恵をいっぱい受けて祝福された年となりますようお祈りします。

イエスの新しい聖霊の恵が私たちの教会に豊かに注がれて隣人に福音が波紋のように伝わり、輪の広がる教会として成長することを願います。














救い主の誕生

2022年12月25日

マタイの福音書 1:18~25

18 イエス・キリストの誕生は次のようであった。その母マリアはヨセフの妻と決まっていたが、ふたりがまだいっしょにならないうちに、聖霊によって身重になったことがわかった。

19 夫のヨセフは正しい人であって、彼女をさらし者にはしたくなかったので、内密に去らせようと決めた。

20 彼がこのことを思い巡らしていたとき、主の使いが夢に現れて言った。「ダビデの子ヨセフ。恐れないであなたの妻マリヤを迎えなさい。その胎に宿っているものは聖霊によるのです。

21 マリヤは男の子を産みます。その名をイエスとつけなさい。この方こそ、ご自分の民をその罪から救ってくださる方です。」

22 このすべての出来事は、主の預言者を通して言われた事が成就するためであった。

23 「見よ、処女がみごもっている。そして男の子を生む。その名はインマヌエルと呼ばれる。」(訳すと、神は私たちとともにおられる、という意味である。)

24 ヨセフは眠りからさめ、主の使いに命じられたとおりにして、その妻を迎え入れ、

25 そして、子どもが生まれるまで彼女を知ることがなく、その子どもの名をイエスとつけた。


マタイはイエスの系図を信仰の父アブラハムから始めてマリヤの夫となるヨセフまでを書き出しています。この系図の中にあるのはみな神の前に罪を認め心から神に従った人々であり、その有り様は創世記をはじめ旧約聖書の中に記述されています。ユダとタマルの関係、ラハブ、ダビデとウリヤの妻との関係など。私たちもこの登場人物と同じような罪を持つ者であることがはっきりと理解できます。

もう一つのイエスの系図の記録はルカの福音書に書かれています。ルカは逆にマリアの夫になるヨセフから書き出し神によって創造されたアダムまでを記録しております。

前置きが少し長くなりますが、このままお話を進めていきます。

マタイとルカには系図の内容が異なります。二つの異なった系図をこのように考え説明する人々もいます。マタイはダビデ王家を中心にしてヨセフにたどり着いていますが、ルカは同じようにダビデの子孫ではありますがダビデの王権を受け継がなかった子孫からマリヤにたどり着いています。ヨセフもマリヤも同じダビデの子孫であります。マタイにはマリアの夫ヨセフがヤコブから生まれたと記しています。しかしルカにはこのヨセフをヘリの子と記述しています。イエスは人々からヨセフの子と思われていた。このヨセフはヘリの子であったと書き始めています。ちょっと戸惑ってしまいますね。ヨセフは正真正銘のヤコブの子でした。おそらくヨセフの父ヤコブは若くして死んだのでしょう。マリヤの父親であるヘリがヨセフを養子として引き取り育てたと思われます。そしてヨセフはマリヤの産んだイエスを養子として育てたのです。イエスは人々からヨセフの子と思われていたという表現も納得できます。


聖書は読者に疑問を持たせる箇所がありますが、それを解決に導く言葉をあちこちに散りばめています。ジグソーパズルを組み立てるような面白さをも秘めています。私たちの人生にもいろいろな疑問があり、疑われたり、仕返しをされたり、理解できない事柄に打ちのめされたりしますが、聖書的な見方や、判断をその問題に当てはめるとき、見事な解決を見出すことができます。




  1. 聖霊によって身重になった
    マリアの妊娠はヨセフにも共に大きな解決不可能な問題となりました。マリアの説明だけではどうしても納得できない出来事でありヨセフは苦しみ悩んだ末、彼女と密かに別れる決心をしたのです。婚約を解消しようとしたのです。彼女に汚名が着せられないようにという優しい気遣いのこもった決断でした。
    夫のヨセフは正しい人であって、彼女をさらし者にはしたくなかったので、内密に去らせようと決めた。


  1. ご自分の民をその罪から救ってくださる方
    マリアの妊娠は本当に聖霊によるものであると夢の中で主の使いから説明を受けたヨセフは自分の決断を撤回しました。これは二人の問題ではなく神の偉大な人類救済の計画であることが理解できたからです。
    マリヤは男の子を産みます。その名をイエスとつけなさい。この方こそ、ご自分の民をその罪から救ってくださる方です。

  2. ヨセフは眠りからさめ、主の使いに命じられたとおり、その妻を迎え入れた。
    彼は主の使いの言葉を聞きすぐにマリアを妻として迎えました。人間的な考えや手段を捨てなければできなかった行動です。
    見よ、処女がみごもっている。そして男の子を生む。その名はインマヌエルと呼ばれる。



この方こそ主キリストです 
2022年12月18日
ルカの福音書 2:11~20

11 きょうダビデの町で、あなたがたのために、救い主がお生まれになりま した。この方こそ主キリストです。
12 あなたがたは、布にくるまって飼葉おけに寝ておられるみどりごを見つ けます。これが、あなたがたのためのしるしです。」
13 すると、たちまち、その御使いといっしょに、多くの天の軍勢が現れ て、神を賛美して言った。
14 「いと高き所に、栄光が、神にあるように。地の上に、平和が、御心に かなう人々にあるように。」
15 御使いたちが彼らを離れて天に帰ったとき、羊飼いたちは互いに話し 合った。「さあ、ベツレヘムに行って、主が私たちに知らせてくださった
この出来事を見て来よう。」
16 そして急いで行って、マリヤとヨセフと、飼葉おけに寝ておられるみど りごとを捜し当てた。
17 それを見たとき、羊飼いたちは、この幼子について告げられたことを知 らせた。18 それを聞いた人たちはみな、羊飼いの話したことに驚いた。
19 しかしマリヤは、これらのことをすべて心に納めて、思いを巡らしてい た。
20 羊飼いたちは、見聞きしたことが、全部御使いの話のとおりだったの で、神をあがめ、賛美しながら帰って行った。


1. きょうダビデの町で救い主がお生まれになりました。
この夜、野宿で夜晩をしていた羊飼いたちにとんでもなく素晴らしい
ニュースが飛び込んできたのです。
なんとなんと長い期間、救い主の誕生を待ち望んできことか。きょうダ ビデの町で救い主がお生まれになったいう天使からのお知らせをもらっ たのはこの羊飼いたちであったのです。旧約聖書には多くの羊飼いたち が登場します。アベルをはじめ、アブラハム、ヤコブ、モーセ、ダビデ などは皆、羊飼いであった人々です。そしてイエス様は「私は良い羊飼 いです。」と自ら言っておられます。最初にこの素晴らしいニュースが 天使らによって羊飼いたちに知らされたことは意味のあることです。こ のニュースこそ福音と呼ばれるものだからです。「いと高き所に、栄光 が、神にあるように。地の上に、平和が、御心にかなう人々にあるよう に。」
2. マリヤとヨセフと、飼葉おけに寝ておられるみどりごとを捜し当てた。
羊飼いたちは天使の言われたことを信じ、さらにその事実を自分たちの 目で確認したのです。救い主は天使の言われたとおり飼葉おけに寝てお られたのです。野宿で夜晩をしていた羊飼いたちに現れた天使たちの 姿、その光景は夢ではなく現実として受け入れることができたのです。 その喜びは今まで彼らが経験したすべての喜びをはるかに超えた最高の ものでした。ちょうど、あなたがご自分の人生の中で救い主イエスに出 会い彼を受け入れたあの時の喜びと同じだったのです。現代の私たちは 高度な情報伝達手段の進んだ世界に生活しています。しかし、それが本 当に正しい情報であるかどうかを確認することはとても困難な時代に なってきています。キリストのこの福音は今の時代にあっても変わるこ とのない喜びをすべての人にもたらす神からの喜びニュースです。
3. それを聞いた人たちはみな、羊飼いの話したことに驚いた。
あまりの喜びに満たされた羊飼いたちは救い主の誕生のあり様を人々に
知らせずにはおられませんでした。野原で夜空を仰ぎながら羊の番をし
ていた時に恐ろしいほどの主の栄光と天使たちの力強い賛美の歌に圧倒
されたこと、また家畜の小屋となっている洞窟の中のかいば桶のなかに
天使たちの言われた通りの幼子がそこに寝かされていたのです。ロバや 家畜に囲まれたヨセフと母マリアの愛に満ちた微笑みと幼子の清らかさ と愛らしさに心が震える感動を覚えたのです。人の姿をまとわれた救い 主に目の当たりにお目にかかることができたのです。人々はこの話に驚 きました。どうしてお前たちのような身分の低い貧しい羊飼いたちに天 使たちが一番にこんな大事なことを知らせたのか。預言に詳しい聖書学 者や律法学者や神殿に使える祭司たちに伝えなかったのか。この国のヘ ロデ王にも伝えられたのであろうかと人々の驚きは様々な反応を示して おりました。
何人もの預言者を通してを通して語られてきた救い主の降誕の預言の成就 は国を支配する支配者や宗教的指導者たちを通さずに人々からの何も尊敬 も得られていない羊飼いに与えられました。そこに、ちょうどよく耕され た地に種が撒かれたように、何十倍、百倍もの実を結ぶ種が芽生え出たの です。
人類の救いのための神の業がこの時から具体的に目に見える人の形となっ て現れたのです。神の壮大な救いのご計画が世界中に知れ渡ったのはクリ スマスが世界中で祝われることになったのを見ればわかることです。この 方こそ主キリストです。






すべての人を照らすまことの光

2022年12月11日

ヨハネによる福音書 1:9~14


すべての人を照らすそのまことの光が世に来ようとしていた。

10 この方はもとから世におられ、世はこの方によって造られたのに、世は この方を知らなかった。

11 この方はご自分のくにに来られたのに、ご自分の民は受け入れなかっ た。

12 しかし、この方を受け入れた人々、すなわち、その名を信じた人々に は、神の子どもとされる特権をお与えになった。

13 この人々は、血によってではなく、肉の欲求や人の意欲によってでもな く、ただ、神によって生まれたのである。

14 ことばは人となって、私たちの間に住まわれた。私たちはこの方の栄光 を見た。父のみもとから来られたひとり子としての栄光である。この方は 恵みとまことに満ちておられた。


1. すべての人を照らすまことの光

イエスの誕生は神の光がこの世を照らすという、救い主の降臨の預言の成就でし た。この世にはあなたが含まれていて、あなたの心の中の闇を打ち砕く力をこの光 は持っています。あなたのどんな深い闇も、罪もこの光は消し去ることができま す。イエスはあなたを救うためにこの世に来られたのです。この光によって救いの 道を歩くことができます。

イエスは彼に言われた。「わたしが道であり、真理であり、いのちなので す。わたしを通してでなければ、だれひとり父のみもとに来ることはありま せん。ヨハネ14:6

2. この方を受け入れた人々、すなわち、その名を信じた人々

神の遣わされた平和の君イエスを信じ、受け入れた人々は神の子となる特権が与え られます。イエスを受け入れた人にはイエスが心の中に住んでくださるからです。 神はあなたにこの世での身分や職歴や能力や財産であるとか血筋などを救いの条件 として要求なさいません。ただ、イエスをあなたが信じ受け入れるかどうかという 一つの条件だけを求めておられます。

3. 私たちの間に住まわれた

救い主イエスが私たちの世界にお生まれになられました。 いつも私たちと共におられるお方がイエスです。イエスと共にあることは神と共に あることです。イエスが共にいてくださとは何と幸せなことでしょう。彼はあなた の荷を共に追ってくださる方、平安を与え、心を休ませてくださる心優しいお方で す。

マタイ11:28 すべて、疲れた人、重荷を負っている人は、わたしのところに来 なさい。わたしがあなたがたを休ませてあげます。
29 わたしは心優しく、へりくだっているから、あなたがたもわたしのくびき を負って、わたしから学びなさい。そうすればたましいに安らぎが来ます。 30 わたしのくびきは負いやすく、わたしの荷は軽いからです。








   あなたを救うために来られたイエス

2022年12月4日 

ヨハネの福音書 3:7~18  

7 あなたがたは新しく生まれなければならない、とわたしが言ったことを 不思議に思ってはなりません。8 風はその思いのままに吹き、あなたはそ の音を聞くが、それがどこから来てどこへ行くかを知らない。御霊によっ て生まれる者もみな、そのとおりです。」9 ニコデモは答えて言った。 「どうして、そのようなことがありうるのでしょう。」10 イエスは答えて 言われた。「あなたはイスラエルの教師でありながら、こういうことがわ からないのですか。11 まことに、まことに、あなたに告げます。わたした ちは、知っていることを話し、見たことをあかししているのに、あなたが たは、わたしたちのあかしを受け入れません。12 あなたがたは、わたしが 地上のことを話したとき、信じないくらいなら、天上のことを話したと て、どうして信じるでしょう。13 だれも天に上った者はいません。しかし 天から下った者はいます。すなわち人の子です。14 モーセが荒野で蛇を上 げたように、人の子もまた上げられなければなりません。15 それは、信じ る者がみな、人の子にあって永遠のいのちを持つためです。」16 神は、実 に、そのひとり子をお与えになったほどに、世を愛された。それは御子を 信じる者が、ひとりとして滅びることなく、永遠のいのちを持つためであ る。17 神が御子を世に遣わされたのは、世をさばくためではなく、御子に よって世が救われるためである。18 御子を信じる者はさばかれない。信じ ない者は神のひとり子の御名を信じなかったので、すでにさばかれてい る。 14 ことばは人となって、私たちの間に住まわれた。私たちはこの方の栄光を見た。父のみもとから来られたひとり子としての栄光である。この方は恵みとまことに満ちておられた。

  1. あなたを救うためにイエスは来られた
    私たちが死の呪いから解放され永遠の命を持つためにイエスは来られました。
    神は愛だからです。しかし、義なる神は罪を見逃すことはできません。罪の要求は私たちの死です。イエスはあなたの身代わりになって十字架の上で死なれました。
    15 それは、信じる者がみな、人の子にあって永遠のいのちを持つためです。
    ルカ19:10人の子は、失われた人を捜して救うために来たのです。
    イエスは神から離れた人、すなわち罪を犯し失われた人を見つけて神との関係を和解し、罪が赦され、義人としてくださったのです。2022年の今日でも、イエスは失われた人を捜しおられます。
  2. 世をさばくためではなく、御子イエスによって世が救われるため
    私たちはイエスによって神の裁きに会うことなく救われるのです。
    21 しかし、今は、律法とは別に、しかも律法と預言者によってあかしされて、神の義が示されました。22 すなわち、イエス・キリストを信じる信仰による神の義であって、それはすべての信じる人に与えられ、何の差別もありません。
    ローマ3:23 すべての人は、罪を犯したので、神からの栄誉を受けることができず、24 ただ、神の恵みにより、キリスト・イエスによる贖いのゆえに、価なしに義と認められるのです。
    このキリストが地上に幼子としてお生まれになったことを喜び祝うのがクリスマスです。
  3. イエスを心にお迎えする時、あなたは新しく生まれることができます。
    イエスはあなたに新しい人生を用意しておられます。それはイエスと共に困難を乗り越え、苦しみも、悲しみも、感謝に変えられていく喜びの人生です。
    17 だれでもキリストのうちにあるなら、その人は新しく造られた者です。古いものは過ぎ去って、見よ、すべてが新しくなりました。(2コリント5:17)
    過去の出来事は変えられませんが、今、現在の私の心がイエスを信じ生まれ変わるならこの先の未来は全く違ったものに変わります。そしてふりむけば過去の出来事もあなたを責めることはなくなります。ベツレヘムの宿はいっぱいで泊まることができなかったマリヤとヨセフに宿屋から離れた家畜小屋が提供されました。そこに泊まり、そこで救い主イエスはお生まれになったのです。静かなクリスマスの夜となりました。どうぞ、あなたの人生の中に救い主イエスをお迎えしてください。

 












死の陰の地に光が輝く

11/27/2022

イザヤ書 9:1~7


1 しかし、苦しみのあった所に、やみがなくなる。先にはゼブルンの地とナフタリの地は、はずかしめを受けたが、後には海沿いの道、ヨルダン川のかなた、異邦人のガリラヤは光栄を受けた。

2 やみの中を歩んでいた民は、大きな光を見た。死の陰の地に住んでいた者たちの上に光が照った。

3 あなたはその国民をふやし、その喜びを増し加えられた。彼らは刈り入れ時に喜ぶように、分捕り物を分けるときに楽しむように、あなたの御前で喜んだ。

4 あなたが彼の重荷のくびきと、肩のむち、彼をしいたげる者の杖を、ミデヤンの日になされたように粉々に砕かれたからだ。

5 戦場ではいたすべてのくつ、血にまみれた着物は、焼かれて、火のえじきとなる。

6 ひとりのみどりごが、私たちのために生まれる。ひとりの男の子が、私たちに与えられる。主権はその肩にあり、その名は「不思議な助言者、力ある神、永遠の父、平和の君」と呼ばれる。

7 その主権は増し加わり、その平和は限りなく、ダビデの王座に着いて、その王国を治め、さばきと正義によってこれを堅く立て、これをささえる。今より、とこしえまで。万軍の主の熱心がこれを成し遂げる。

この日曜日から降誕節の第1週に入りました。何年も何千年も待ち望んできた救い主の誕生の預言です。ひとりのみどりごがわれわれのために生れた、ひとりの男の子がわれわれに与えられた。救い主イエスの誕生を心からお祝いし、賛美を主に捧げます。


  1. 苦しみのあった所に、やみがなくなる
    今日なお世界は戦争と戦争の中にあります。人間の努力、能力によって平和を得ようと人類は求めてきましたが、未だ真の平和の時代は来ておりません。
    いつまでこの暗い闇の時代は続くのでしょうか。神のご計画は準備されていて、神のみ子イエス・キリストの救いはすでに十字架において完成されました。それでも人類はまだ、この救い主を来るべき世界の王として受け入れることができていません。しかし、やがて主イエスは再びこの世においでになります。その時こそイザヤの預言が実質的に成就し、この方によって世界は統べ治められ真の平和と繁栄を得るようになるのです。ただ戦争のない世界ではなく愛なる神と人があのエデン園であったように、親密な関係が回復されるのです。私たちの求めるものが与えられ、良いものをくださる父との交わりの回復された世界がそこにあるのです。
  2. 暗黒の地に住んでいた人々の上に光が照った
    イザヤ9:2には「 やみの中を歩んでいた民は、大きな光を見た。死の陰の地に住んでいた者たちの上に光が照った。」と書かれています。この預言はかつてのイスラエルに大きな希望を与え、イエスが誕生され彼の宣教活動を通して、目には見えない神の国が始まっていきました。今日、絶望している人々に、この預言は再臨の主による世界の平和がくることを示し、希望の光を人々に約束しております。この光は闇を消し去ります。ヨハネの福音書 1:4,5には「 4 この方にいのちがあった。このいのちは人の光であった。5 光はやみの中に輝いている。やみはこれに打ち勝たなかった。」とあります。この深い闇の世界にあっても常に神の光は輝いています。ちょうど暗闇の海に灯る灯台のように、希望の光として人々の行先を導いておられます。 
  3. ひとりのみどりごがわたしたちのために生れる
    新約聖書ルカの福音書2:11 ,12にこのイザヤの預言が成就した記事が書かれています。「 きょうダビデの町で、あなたがたのために、救い主がお生まれになりました。この方こそ主キリストです。あなたがたは、布にくるまって飼葉おけに寝ておられるみどりごを見つけます。これが、あなたがたのためのしるしです。」
    主の誕生は700前にイザヤによって預言され成就したのです。
    この世界の主権は闇の主権者であるサタンからイエスに渡されます。
    不思議な助言者として私たちの良き相談相手です。イエスは力ある神であり、永遠の父です、平和の君なるイエスは私たちを平和を造り出す者に変えてくださいます。この方は2000年前にイスラエルにあるダビデの町、ベツレヘムに人間の体を持って降誕されました。そして再びこの絶望と暗闇の中で嘆き叫ぶ人々に輝く光として、この地上においでになります。クリスマスはただ救い主の誕生を祝うだけなく、救いの完成をこの地にもたらすために再びおいでなるイエスを待ち望む時でもあります。どんな状況の中でもこのイエスに希望を託して生きていくことができるからです。  




  

感謝しつつ、その大庭に、はいれ

2022年11月20日

詩篇100:1~5- 口語訳

 

1. 全地よ、主にむかって喜ばしき声をあげよ。

2. 喜びをもって主に仕えよ。歌いつつ、そのみ前にきたれ。
3.
こそ神であることを知れ。われらを造られたものは主であって、われらは主のものである。われらはその民、その牧の羊である。
4.
感謝しつつ、その門に入り、ほめたたえつつ、その大庭に入れ。

主に感謝し、そのみ名をほめまつれ
5.
主は恵みふかく、そのいつくしみはかぎりなく、そのまことは

よろず代に及ぶからである。 




今年のサンクスギビング・デーは今週の木曜日、24日になります。

そのことを覚えて今日のメッセージは感謝をテーマに詩篇の100篇より

お話をしていきます。
詩篇100篇は感謝の歌と呼ばれています。私たちの心から、またこの口から感謝のことばがあふれるようにしたいと思います。いろいろな感謝の言葉あります。

ニューホープ東京のタロー牧師から礼拝が終わると握手の手を差し出しブラザー・ヤマダ、ありがとう、と言われました。最初は何かのお礼かなと思いましたが、そうではなく、ただ、感謝の心を共有したかったのだとわかりました。何の理由もなくただ「ありがとう」だけで心のあたたまる素晴らしい関係が築かれていきます。私はこの何でもないありがとうをミステリアスなありがとうと名付けています。言われた相手はなぜだろうと考えてしまうからです。もう一つは、テキサスから東京に観光に来た人とご一緒したことです。彼は私の友人の親友で3人で京都を観光しました。彼が帰る時、バスの前で「エノク、あなたは、あれをしてくれ、また、こんなこともしてくれた、その一つ一つを感謝しているよ。ありがとう。」と英語で語ってくれました。感謝の理由を思いつく限り 言葉にして説明しお礼を述べてくれました。この感謝も素晴らしいものです。こんなふうに言われたら喜びで心が満足します。三つ目はこれです。「おかげさまで」という感謝の言葉です。Honolulu Hale(ホノルル旧市庁舎)の入り口に元年者と彫られた記念碑があります。1868年(明治元年)に横浜からホノルルに渡った移民は、後に元年者と呼ばれるようになりました。 





この石板にOkage Sama Deと彫られています。そのあとに、英語の訳が添えられています。 “I am what I am because of you” 

今の私があるのはあなたがあっての私です。・・・あなたのおかげです。

色々な人にお世話なったり、時の流れを越えてきた人が、感極まって言う時、深くて味わいのある「ありがとう」の意味が伝わってきます。

  1. 喜びを持って主に仕える
    主に礼拝をささげることの表現です。
    喜びは感謝を生み出し、賛美が湧き上がってきます。
    歌いつつ、そのみ前にきたれ。
  2. 神との関係
    神であり、羊飼いなる主と、羊である私との関係を思い浮かべてください。
    羊は囲いの門から入り広々とした場所でくつろぐように
    私たちも、主の大庭で感謝と賛美をささげます。
    われらを造られたものは主であって、われらは主のものである。われらはその民、その牧の羊である。

  3. 感謝の祈り
    主は恵みといつくしみと真実を持って私たちに接してくださる方です。だから感謝の祈りをします。何故かよくわからないが、ありがたい気持ちを感じる時があります。神との関係で具体的な一つひとつのことに感動し、また感謝し、そして祈ります。主イエスが神であり、そのお方のみ翼の影におおわれ、今日の私がいることに感謝します。



Thanks Giving DayにちなんでTHANKSの頭字語を

 作りました。どうぞ身近な人に感謝の言葉を伝えてください。


    


ーーー 皆様からのコメントをいただきました。ーーー 


  Nov 13.22 Blessed is the man who takes refuge in him.


苦しみや悲しみは幸福を得る過程なのですね。そう考えると乗り越えやすくなりました。


詩篇34は、その冒頭の文字が、ヘブライ語のアルファベットになっているアクロスティックな折句の箇所ですね。

暗誦するために工夫されたのでしょう。ヘブライ語を話す人たちにとっては、美しい詩だったと思います。神学の学びにも、ヘブライ語はあるのですよね? ネットで聞く限りでは、発音が難しそうですね。


「主を尋ね求める者」として日々祈っていると、日頃の自分の行いとのギャップに恥ずかしくなることがあります。

あれもこれもと欲求ばかりが膨らんでしまい、もっと控え目にしなくては・・・というような遠慮があります(苦笑)

しかし、そういう第三者的な視点で自分の信仰度をジャッジすることも、また高慢なことですね。本当のことは、神様にしか判らない。人間の物差しほどあてにならない物は無いですから。

       

 



主の御名を呼び求める者

2022年5月1日

ローマ 10:1-13


1兄弟たちよ。私の心の願い、彼らのために神にささげる祈りは、彼らの救いです。2私は、彼らが神に対して熱心であることを証ししますが、その熱心は知識に基づくものではありません。3彼らは神の義を知らずに、自らの義を立てようとして、神の義に従わなかったのです。4律法が目指すものはキリストです。それで、義は信じる者すべてに与えられるのです。5モーセは、律法による義について、「律法の掟を行う人は、その掟によって生きる」と書いています。6しかし、信仰による義はこう言います。「あなたは心の中で、『だれが天に上るのか』と言ってはならない。」それはキリストを引き降ろすことです。7また、「『だれが深みに下るのか』と言ってはならない。」それはキリストを死者の中から引き上げることです。8では、何と言っていますか。「みことばは、あなたの近くにあり、あなたの口にあり、あなたの心にある。」これは、私たちが宣べ伝えている信仰のことばのことです。9なぜなら、もしあなたの口でイエスを主と告白し、あなたの心で神はイエスを死者の中からよみがえらせたと信じるなら、あなたは救われるからです。10人は心に信じて義と認められ、口で告白して救われるのです。11聖書はこう言っています。「この方に信頼する者は、だれも失望させられることがない。」12ユダヤ人とギリシア人の区別はありません。同じ主がすべての人の主であり、ご自分を呼び求めるすべての人に豊かに恵みをお与えになるからです。13「主の御名を呼び求める者はみな救われる」のです。

  1. 神の義を知らずに、自らの義を立てようとした。

神に選ばれたユダヤ人は神の義(神が与えてくださる義)を自分たちの力で得ることができると考えました。しかし自らの義を立てることは不可能でした。逆に神に選ばれていない異邦人と言われる人々は自分には義はなく罪があることを認めて神を求めました。

それで神はそのような人々に神の義による義を与えられました。もちろん、ユダヤ人の中にも同じように自分の義は神の前に通用しないことを認め神の義を求める人々もいました。人の罪を赦せない者は自分の義を立てようとしているからです。神の義を求め罪を赦された者は人の罪を赦すことができるようになります。また神の義を求める者は感謝と喜びにあふれて良い行いをする者に変えられていきます。


  1. 人は心に信じて義と認められ、口で告白して救われるのです

心の中でイエスを神の子、救い主と信じる時あなたは義と認められます。

またそのことを口で告白して救われると聖書は約束しています。

人間的に考えるとこんなに簡単に罪の問題が解決されしかも罪のない者、義なる者と神が認めてくださるとは信じ難いことに思われます。

イエスの語られたあの1万タラントの巨額な負債を赦された僕の譬え話を思い出します。一万タラントを6,000億円としてみると、この僕はこんなに巨額な負債を王から全額赦されたにもかかわらず彼から100万円の借金をしている者に返済を要求し猶予期間を願い出たのに赦すどころか牢に入れてしまったのです。このことが王に知らされて彼は牢に入れられてしまいました。


この僕はせっかく許されたのですから自由の身になったことを大喜びして残された人生を楽しむ方が何千倍もの価値があったと思います。


  1. ユダヤ人とギリシア人の区別はありません。

神のご計画された救いは神の選ばれたユダヤ人と異邦人を意味するギリシャ人との区別はなく世界中の全ての人がこの救いにあずかることができます。

どんなに神から離れた考えを持つ人物であろうと区別はされません。主イエスに救ってください助けてくださいと呼び求めるなら神は赦しを与え救いに招いてくださいます。救いに対して問われるのはその人がまことの神がこの世に遣わされたイエスを信じるのか信じないかのによるのです。

まことに、まことに、あなたがたに言います。わたしのことばを聞いて、わたしを遣わされた方を信じる者は、永遠のいのちを持ち、さばきにあうことがなく、死からいのちに移っています。ヨハネ5:24





悩む者の家

マリアの心を持ってマルタの働きをする

2022年4月24日

聖書:ルカ10:38~42


38さて、一行が進んで行くうちに、イエスはある村に入られた。すると、マルタという女の人がイエスを家に迎え入れた。39彼女にはマリアという姉妹がいたが、主の足もとに座って、主のことばに聞き入っていた。40ところが、マルタはいろいろなもてなしのために心が落ち着かず、みもとに来て言った。「主よ。私の姉妹が私だけにもてなしをさせているのを、何ともお思いにならないのですか。私の手伝いをするように、おっしゃってください。」41主は答えられた。「マルタ、マルタ、あなたはいろいろなことを思い煩って、心を乱しています。42しかし、必要なことは一つだけです。マリアはその良いほうを選びました。それが彼女から取り上げられることはありません。」


今の時代はインターネットによる情報の渦に巻き込まれストレスを感じている多くの人々がいます。最初はとても便利に思われ面白いのですが、そこに義務や責任が生じてきますと人間はストレスを強く受けてそれが疲れや苦しみを感じるようになります。最近お会いした一人の方がこんなことを言われました。小学校の教師をしているのですが、職場での連絡はほとんどが会話でなくEメールやテキストメールなどコンピューターを使って処理されています。また教会でもリーダーとして奉仕しているのですが、そこでもお互いのコミュニケーションはコンピューターを介してされること多くなり、いつもチェックし返事を出さなければならず、、それがストレスとなり疲れている。こういう世界から逃げたいと思うことが多い。


いのちより大切なものとは


 生きること自身がストレスになり死にたいと思うことがあります。

ケアホームで介護師さんから熱心に介護されればされるほど生きるのが辛くなり、早く死にたいと思う老人がいます。体力をつけるために食事を出され、薬を飲まされ、歩けるようにとリハビリをさせられたときに強制されていると感じた人はそういうことにもストレスを感じるようになります。生きることを義務と考えさせられるときそれ自体が苦しくなります。

星野富弘さんはそんなことを経験してきた人です。中学の体育のクラブ活動の指導中、模範演技を披露したとき着地に失敗し首の骨をおり手足の自由を失いました。その時24歳。入院中に聖書に出会い神の愛に触れ信仰を持つ。1946424日生まれ(76歳)


「いのちよりもたいせつなもの」 星野富弘さんの詩

いのちが一番大切だと 思っていたころ

生きるのが苦しかった 

いのちより大切なものがあると知った日

生きているのが嬉しかった


皆さん、私たちの毎日の日常の生活の中でのちょっとした出来事を通しても神様はとても大切なことを教えてくださいます。今日はそんなどこの家にも当てはまるような事を通して語られたイエスの教えを学びましょう。


ベタニヤについて

ある村とはべタニヤのことでエルサレムから歩いて1時間ほどの距離にあります。

ベタニアは、「悩む者の家」とか「神により頼む貧しい者の家」という意味があります。エルサレムに住めなくなった病人や貧しい人々が移り住んでいた村だとも言われます。私たちの住んでいるこのハワイにも人間関係、悩み、病気などの困難の中に生きている人々がいます。ベタニヤの意味を考えるとなぜかその言葉が私たちを慰める言葉となり響いてきます。もちろん世界中のどの町にも問題を抱えた家族がいます。全く何も問題がない家族、夫婦が居るでしょうか。ベタニヤは表面的に美しく着飾ったエルサレムの町とは違い人々はお互いの悩み苦しみを包み隠すことなく付き合える、そんな安心のある村だったのでしょう。

イエスはこの村ベタニヤをことさらに愛しておられました。     


ベタニアの家


ベタニアの村にマルタとマリヤとその兄弟ラザロが住んでいました。

イエスはこの家族を愛しており、よくこの家に立ち寄りおやすみになられ、この家を起点としてエルサレムに行き来しておりました。

聖書には何も書いてありませんが、この3人家族もまたそれぞれ過去の複雑な悩みや問題を抱え、肩を寄せ合って、助け合いながら生活しておりました。マルタとマリヤとラザロは彼らの親が住んでいた家に一緒に住むようにもどってきなったのではないでしょうか。近所の人々も気軽に集まってくる家でもあったようです。イエスが滞在しているときはいつも人々がお話を聞きにこの家に集まっておりました。


イエスをいつも喜んで家に迎えたマルタとマリヤ

イエスを家に迎えることはとても素晴らしいことです。

喜びがやってきます。平安が満ち溢れます。

聖書にマルタとマリヤの記事がなかったら私たちは日常生活の中で起きる出来事を通して語られるイエスの教えを悟ることはなかったでしょう。マルタのもどかしさと怒りは逆に聖書の真理を人々に理解させるために用いられました。あなたの目から見てこの人は役に立たないなと思う人がいるとしたら、実は、その人は、あなたにとってなくてはならない人かもしれません。マルタにとってマリヤはそんな人物でした。 現代の教会にマルタがいるとすれば、彼女は信仰歴も長く、聖書をよく知っており、礼拝の司会をしたり、教会の活動をリードすこともできます。また新しい信者を教えたり、何でもできる信頼すべき人です。マリヤはマルタから色々なことを教わっていたことでしょう。マルタは判断力に優れ、積極的で行動力のある女性です。しかし、せっかちで物事を表面的に見て判断しまう欠点があったようです。一方マリヤはのんびりやで、消極的な性格の持ち主でした。しかし、冷静に物事の本質を直感的に見抜くことのできる女性で思い切ったことのできる大胆な信仰の持ち主です。大胆な信仰とはマリヤはのちに高価な香油をイエスに塗ったことです。ナルドの香油と呼ばれています。

ヨハネ12:111


なくてはならないものとは

心配やストレスによって見失ってしまうもの

「マルタ、マルタ、あなたはいろいろなことを思い煩って、心を乱しています。しかし、必要なことは一つだけです。マリアはその良いほうを選びました。それが彼女から取り上げられることはありません。」

マルタのように表面的なものに心を奪われてしまうと本質的なもの、中身を見失ってしまいます。なくてはならないものとは、表面ではなく中身です。包み紙がいくらきれいで立派であってもその箱の中に大切な贈り物が入ってなければ何の価値もありません。ただの空箱ですね。「私たちはこの宝を、土の器の中に入れているのです。」

コリント 4:7

あなたが神にどんなに深く愛されているかに気づくこと。神の愛によって永遠の命が与えられていること、この救いの確信をいつも持っていること。あなたの罪を赦すためにイエスが十字架の上で命を捨てられたことです。神は独り子イエスの命をかけてあなたを愛しておられることです。今日もあなたはそのことを信じて喜びに満たされているでしょうか。

今日のメッセージの結論

それはマルタのように日常生活の中で起こる見苦しい苛立ちの一コマの出来事を通して教えられ、発見するものなのです。

やるべきことがたくさんあるこの世の中で何が大切かを知るために、イエスのもとに行き神の愛に触れることです。初めの愛を持って生き生きとした信仰生活を送ることではありませんか。いのちより大切なもの、必要なもの、それは愛です。イエスから教えられた神の愛、あなたの罪を赦すために十字架を負われた犠牲の愛です。無条件の愛です。マルタとマリアとラザロはこの愛をイエスのみもとで発見し生きる力、新しいいのちを得て変えられました。私たちが教会の働きや家族のお世話をするときに心配やストレスでこの愛を見失わないようにまずイエスのみもとに座りましょう。マルタが抱いた苛立ちや悩みをイエスの前に持って行きましょう。聖霊の働きによりあなたはマリアの心を持ってマルタの働きをする人になります。










 

 朝早くまだ暗いうちに

2022年4月17日

ヨハネ20:1~16


1さて、週の初めの日、朝早くまだ暗いうちに、マグダラのマリアは墓にやって来て、墓から石が取りのけられているのを見た。2それで、走って、シモン・ペテロと、イエスが愛されたもう一人の弟子のところに行って、こう言った。「だれかが墓から主を取って行きました。どこに主を置いたのか、私たちには分かりません。」3そこで、ペテロともう一人の弟子は外に出て、墓へ行った。4二人は一緒に走ったが、もう一人の弟子がペテロよりも速かったので、先に墓に着いた。5そして、身をかがめると、亜麻布が置いてあるのが見えたが、中に入らなかった。6彼に続いてシモン・ペテロも来て、墓に入り、亜麻布が置いてあるのを見た。7イエスの頭を包んでいた布は亜麻布と一緒にはなく、離れたところに丸めてあった。8そのとき、先に墓に着いたもう一人の弟子も入って来た。そして見て、信じた。9彼らは、イエスが死人の中からよみがえらなければならないという聖書を、まだ理解していなかった。10それで、弟子たちは再び自分たちのところに帰って行った。11一方、マリアは墓の外にたたずんで泣いていた。そして、泣きながら、からだをかがめて墓の中をのぞき込んだ。12すると、白い衣を着た二人の御使いが、イエスのからだが置かれていた場所に、一人は頭のところに、一人は足のところに座っているのが見えた。13彼らはマリアに言った。「女の方、なぜ泣いているのですか。」彼女は言った。「だれかが私の主を取って行きました。どこに主を置いたのか、私には分かりません。」14彼女はこう言ってから、うしろを振り向いた。そして、イエスが立っておられるのを見たが、それがイエスであることが分からなかった。15イエスは彼女に言われた。「なぜ泣いているのですか。だれを捜しているのですか。」彼女は、彼が園の管理人だと思って言った。「あなたがあの方を運び去ったのでしたら、どこに置いたのか教えてください。私が引き取ります。」16イエスは彼女に言われた。「マリア。」彼女は振り向いて、ヘブル語で「ラボニ」、すなわち「先生」とイエスに言った。


「朝早くまだ暗いうちに」この言葉は読む者に対して緊張感を与えます。

学生であれば試験の前日から気が立っていて朝もそれこそまだ暗いうちに目が覚めてしまうのではないでしょうか。心配からくる緊張も喜びの期待からくる緊張もありますね。イエスの弟子たちは経験したことのない恐れや不安、様々な疑問と心配の中にあったことでしょう。それらのものが信仰の目を塞ぎ正しい判断ができなくなっていたのです。3年半もの間、師であるイエスに日夜を通して学んできたのに。




  1. 墓から石が取りのけられているのを見た

墓の横穴を塞いでいた大きな石が取り除けられているのをみてマグダラのマリアは誰かがこの墓からイエスの死体を取っていったのだと思いました。誰もこの大きな石を動かすことがないように封印までしてローマの兵隊が見張っていたのに。この光景はとても人にはできないことで不可能であるとされたことを解決される神がおられることを見せています。

しかしマリヤは「だれかが墓から主を取って行った」という思い込みを初めから最後まで持っていました。驚くべき奇跡の動いている中でなんの感動もなくただ心配と不安を心に抱いていたのです。


  1. イエスが死人の中からよみがえらなければならないという聖書的理解

1コリント15:20-22

20しかし、今やキリストは、眠った者の初穂として死者の中からよみがえられました。21死が一人の人を通して来たのですから、死者の復活も一人の人を通して来るのです。22アダムにあってすべての人が死んでいるように、キリストにあってすべての人が生かされるのです。


ローマ8:2

2なぜなら、キリスト・イエスにあるいのちの御霊の律法が、罪と死の律法からあなたを解放したからです。



  1. なぜ泣いているのですか。だれを捜しているのですか

これはイエスがマリヤに言われた言葉です。彼女はイエスの体がなくなっていることで泣いていたのです。イエスがよみがえったとは全く考えもしていなかったからです。だれを捜しているのかと復活されたイエスがマリヤに問いかけました。私たちは自分の信仰が打ちのめされた時、神のされたことを見たり理解することができなくなります。あなたの前にイエスが立って声をかけておられるのにもかかわらず見えなくなっているのです。

マリアの返答はこうでした。「あなたがあの方を運び去ったのでしたら、どこに置いたのか教えてください。私が引き取ります。」彼女にはイエスの死体のことしか頭になかったのでしょう。

イエスは彼女に言われた。「マリア。」彼女は振り向いて、ヘブル語で「ラボニ」、すなわち「先生」とイエスに言った。

ここでマリヤは気づくのです。なんと胸の鼓動が聞こえてきます。これ以上の表現はありません。マリヤは復活のイエスに出会ったのです。






 


 主がお入り用なのです

2022年4月10日

マタイ21:1~11 新改訳2017


1さて、一行がエルサレムに近づいて、オリーブ山のふもとのベテパゲまで来たそのとき、イエスはこう言って、二人の弟子を遣わされた。2「向こうの村へ行きなさい。そうすればすぐに、ろばがつながれていて、一緒に子ろばがいるのに気がつくでしょう。それをほどいて、わたしのところに連れて来なさい。3もしだれかが何か言ったら、『主がお入り用なのです』と言いなさい。すぐに渡してくれます。」4このことが起こったの

は、預言者を通して語られたことが成就するためであった。5「娘シオンに言え。『見よ、あなたの王があなたのところに来る。柔和な方で、ろば に乗って。荷ろばの子である、161子ろばに乗って。』」6そこで弟子たちは行って、イエスが命じられたとおりにし、7ろばと子ろばを連れて来 て、自分たちの上着をその上に掛けた。そこでイエスはその上に座られ た。8すると非常に多くの群衆が、自分たちの上着を道に敷いた。また、 木の枝を切って道に敷く者たちもいた。9群衆は、イエスの前を行く者た ちも後に続く者たちも、こう言って叫んだ。「ホサナ、ダビデの子に。

祝福あれ、主の御名によって来られる方に。ホサナ、いと高き所に。」10 こうしてイエスがエルサレムに入られると、都中が大騒ぎになり、「この 人はだれなのか」と言った。11群衆は「この人はガリラヤのナザレから出 た預言者イエスだ」と言っていた。



 今日はエルサレム入城と呼ばれている聖書の箇所からお話しします。

この箇所からあなたの心に来てくださった救い主イエスを見つめてみま す。

1. もしだれかが何か言ったら『主がお入り用なのです』と言いなさい。

二人のイエスの弟子たちは主の言われたとおりろばを見つけ「主がお入り 用なのです」と言うとそのろばの持ち主はすぐに承諾してくれました。こ のろばの親子はエルサレムにイエス様をお乗せしました。 人々は自分の上着や棕櫚の葉を通り道に敷き、イエス様を歓迎しました。 人々はイエスがローマ帝国からイスラエルを独立させる政治的な権力を持 つ王となることを期待して興奮しておりました。 ろばは謙遜を象徴する動物です。イエス様は神の子であるのに馬ではなく ろばに乗ってエルサレムに入られたのです。 このろばのように主は謙遜な人を必要とされます。 神様の偉大なご計画の中に必要とされることはとても光栄なことです。

様々な主のご計画の中でたとえ小さな役割であって用いられたいですね。

毎日の生活の中にもあなたの役割はあります。主の声を聞いたらすぐに対 応したいです。聖霊のささやきの声を聞き取れたらそのみ声に従いましょ う。

2. 見よ、あなたの王があなたのところに来る

このことばはイエス様がエルサレムに入られることを指していますが、主 イエスがあなた個人の心の中に来られるという意味もあります。イエスが あなたの心の中に王として来られるのです。あなたの心の王座にイエスを お迎えしてください。そうしたらあなたの心は闇の支配から解放され自由 にされ光の支配に変わります。一人一人の心の中に神の国は生まれていき ます。そんな光景を表現した讃美歌があります。

The Savior is waitingという英語の讃美歌を訳してみました。

4086-4260 2


 日本語の讃美歌は196番にあります。


The Savior is waiting to enter your heart

Why don't you let Him come in

There's nothing in this world to keep you apart What is your answer to Him

Time after time He has waited before And now He is waiting again

To see if you're willing to open the door Oh how He wants to come in

If you'll take one step toward the Savior, my friend You'll find His arms open wide

Receive Him, and all of your darkness will end Within your heart He'll abide

Time after time He has waited before And now He is waiting again

To see if you're willing to open the door Oh how He wants to come in

Oh how He wants to come in


救い主は待っておられる

あなたがドアが開けるのを

どうして彼をお招きしないのですか

この世界には救い主からあなたを引き離すものは何もないのに

彼へのあなたの返事は何ですか

いつまでも、いつまでも主は待っておられる

そして今も待っておられる

あなたがドアを開けるのを ああ、主はお待ちになっておられる 友よ、あなたがもう一歩踏み出すなら 大きく手を広げて待っておられる主のお姿が見えるでしょう 彼をお招きすれば、すべての闇の世界が消えていき 主があなたの心の中を明るく照らし一緒に住んでくださる いつまでも、いつまでも主は待っておられる そして今も待っておられる

あなたがそのドアを開けるのを

ああ、彼はどんなにかあなたの心の中に光を届けたいことか

ああ、彼はどんなにかあなたの心の中に光を届けたいことか



 3. ホサナ、ダビデの子に。

ホサナとは、「おお!救いたまえ」の意味です。イエス様のエルサレム入 城時には人々が歓迎のことばとして用いました。 ダビデの子とはダビデの子孫から生まれる救い主を意味しています。

今日あなたもイエス様を救い主としてお迎えしましょう。ホサナ、ダビデ の子イエスよと声に出してください。あなたが心からお仕えするのは主イ エス・キリストだからです。

ガラテヤ2:20 もはや私が生きているのではなく、キリストが私のうちに生

きておられるのです。今私が肉において生きているいのちは、私を愛し、 私のためにご自分を与えてくださった、神の御子に対する信仰によるので す。


祈り。

イエスにとってエルサレム

入城は十字架の道であり罪 の赦しへの道でもありま す。私のために主は命をお 捨てになられました。この ことへのお返しはできませ ん。ただ主とともに信仰に よって生きることです。全て の罪は主の十字架の上につ けられました。主がお入り 用ならばいつでも私をお使 いください。

主がお入り用なのです








2022年4月3日 ウェスレー合同メソジスト教会・日本語礼拝

  Wesley United Methodist Church Japanese Language Worship

  説教者:山田エノク和人牧師




まず神の国と神の義を求めなさい

2022年4月3日

マタイ6:25~34


25ですから、わたしはあなたがたに言います。何を食べようか何を飲もうかと、自分のいのちのことで心配したり、何を着ようかと、自分のからだのことで心配したりするのはやめなさい。いのちは食べ物以上のもの、からだは着る物以上のものではありませんか。26空の鳥を見なさい。種蒔きもせず、刈り入れもせず、倉に納めることもしません。それでも、あなたがたの天の父は養っていてくださいます。あなたがたはその鳥よりも、ずっと価値があるではありませんか。27あなたがたのうちだれが、心配したからといって、少しでも自分のいのちを延ばすことができるでしょうか。28なぜ着る物のことで心配するのですか。野の花がどうして育つのか、よく考えなさい。働きもせず、紡ぎもしません。29しかし、わたしはあなたがたに言います。栄華を極めたソロモンでさえ、この花の一つほどにも装っていませんでした。30今日あっても明日は炉に投げ込まれる野の草さえ、神はこのように装ってくださるのなら、あなたがたには、もっと良くしてくださらないでしょうか。信仰の薄い人たちよ。31ですから、何を食べようか、何を飲もうか、何を着ようかと言って、心配しなくてよいのです。32これらのものはすべて、異邦人が切に求めているものです。あなたがたにこれらのものすべてが必要であることは、あなたがたの天の父が知っておられます。33まず神の国と神の義を求めなさい。そうすれば、これらのものはすべて、それに加えて与えられます。34ですから、明日のことまで心配しなくてよいのです。明日のことは明日が心配します。苦労はその日その日に十分あります。


1. 自分の命とからだについて

「いのちは食べ物以上のもの、からだは着る物以上のものではありませんか。」とイエスは人々に語られました。神の造られたものは、みな素晴らしく精巧にできています。見れば見るほど、考えれば考えるほどよくもここまでと精密にまた知恵の行き届いた創造のみ業に驚いてしまいます。人は神に似せて造られたのでクリエイティブな発想を持っています。ですからさまざまな美しいものや良い行いが人々を感動させます。さらにこのような人間を造られた神をほめたたえずにはいられません。私たちはこの素晴らしい命も体も与えられていることに畏敬の念を持って感謝しようではありませんか。

もう一度聖書をお読みします。

あなたがたのうちだれが、心配したからといって、少しでも自分のいのちを延ばすことができるでしょうか。なぜ着る物のことで心配するのですか。野の花がどうして育つのか、よく考えなさい。働きもせず、紡ぎもしません。しかし、わたしはあなたがたに言います。栄華を極めたソロモンでさえ、この花の一つほどにも装っていませんでした。今日あっても明日は炉に投げ込まれる野の草さえ、神はこのように装ってくださるのなら、あなたがたには、もっと良くしてくださらないでしょうか。信仰の薄い人たちよ。

信仰の目で自分の命とからだを見つめよく考えてみましょう。

貴重な命とからだに感謝します。喜びが湧いてきます。希望が溢れてきます。愛が溢れてきます。感謝の心が躍りだします。ハレルヤ!ハレルヤ!ハレルヤ!


2. あなたには大きな価値がある

26節には、あなたがたはその鳥よりも、ずっと価値があるではありませんか。とイエスは私たちに呼びかけておられます。差し伸べられたイエスの手にあなたも応答しイエスの手を握りましょう。

イザヤ43:4 わたしの目には、あなたは高価で尊い。

イエスはあなたの救いのために十字架の上で命を捨ててくださいました。

それはあなたに永遠の命を与えるためでした。あなたは失われた者ではなくイエスに捜し求められ見いだされた者です。あなたは高価で尊いからです。

主イエスは十字架の後に墓に葬られたあとに3日目によみがえられました。やがて私たちも同じように復活の体を持って天のみ国で再会します。どんなにか喜びと感謝なことでしょう。

使徒パウロは彼とキリストとの関係をこのように言っております。

ガラテヤ2:20

もはや私が生きているのではなく、キリストが私のうちに生きておられるのです。今私が肉において生きているいのちは、私を愛し、私のためにご自分を与えてくださった、神の御子に対する信仰によるのです。


エペソ2章8~10節

10実に、私たちは神の作品であって、良い行いをするためにキリスト・イエスにあって造られたのです。神は、私たちが良い行いに歩むように、その良い行いをあらかじめ備えてくださいました。


3.まず神の国と神の義を求める

神の国は神が御支配されている所です。そこは永遠の世界です。肉の目では見えない世界ですが、霊の目(信仰の目)で見ることができます。私たちの霊も永遠の世界に繋がっています。

ローマ14:17にはこう書かれています。

なぜなら、神の国は食べたり飲んだりすることではなく、聖霊による義と平和と喜びだからです。

神の国における神や人との交わりはこの地上における飲み食いの楽しみをはるかに超えた喜びがあるのです。地上での楽しみの経験からは比べることもできないものなのでしょうね。神の国は福祉の行き届いた素晴らしい世界です。お互いが愛し合い、助け合う世界です。そして成長していく世界、命のある世界です。その命は永遠の命です。そして信仰と希望と愛が満ち溢れている美しい世界に憩うことができます。

心を開いて神の招きに応じれば十字架による救いの扉が開きそこに神の国が現れます。あなたの心の王座にイエスが座っていなければ神の国ではありません。そのためにはあなたは心の王座から降りてイエスをその王座にお迎えすることです。この神の国があなたの家庭に、あなたの職場に、あなたの学校に、あなたの地域に、さらに世界に福音の種がまかれ、成長し、神の国が広がっていきます。

 また神の義はイエスの十字架による贖いから来る義です。それは信仰によってのみ受け取ることができます。あなたのどんな罪も全て赦され義とされます。これが信仰による神の義です。その後の人生は良い行いをするように聖霊が助けてくださいます。クリスチャンの持っている行いの義は2種類あります。一つは神に助けられて神と共に働く良い行いで、神を賛美します。もう一つは聖霊の助けを拒んで自分の力でする良い行いで、それを自慢します。イエスの嫌われたのは自慢する行いの義を求める人でした。 

ルカの福音書18:11~14をご覧ください。

11パリサイ人は立って、心の中でこんな祈りをした。『神よ。私がほかの人たちのように、奪い取る者、不正な者、姦淫する者でないこと、あるいは、この取税人のようでないことを感謝します。12私は週に二度断食し、自分が得ているすべてのものから、十分の一を献げております。』13一方、取税人は遠く離れて立ち、目を天に向けようともせず、自分の胸をたたいて言った。『神様、罪人の私をあわれんでください。』14あなたがたに言いますが、義と認められて家に帰ったのは、あのパリサイ人ではなく、この人です。だれでも自分を高くする者は低くされ、自分を低くする者は高くされるのです。」

聖餐式の讃美歌

Here is bread, here is wine Christ is with us, He is with us Break the bread, drink the wine Christ is with us here 


Here is grace, here is peace Christ is with us, He is with us Know his grace, find His peace Feast on Jesus here 


In this bread there is healing In this cup there's life forever In this moment, by the Spirit Christ is with us here


Here we are, joined in one Christ is with us, He is with us We'll proclaim, till He comes Jesus crucified


ここにパンがある、ここにワインがある、 キリストは私たちと共におられる、 

パンを裂き、ワインを飲みなさい キリストは私たちと共におられる、ここにおられる 


ここに恵みあり、ここに平和あり キリストは私たちと共におられる、私たちと共におられる その恵みを知り、その平和を見いだす ここにイエスの饗宴がある


このパンには癒しがある この杯には永遠の命がある この瞬間、聖霊によって キリストは私たちとともにある

私たちはここにいる キリストと一つに結ばれている 私たちと共におられる 私たちは宣べ伝えるだろう イエスが来られるまで 十字架にかけられたイエスを









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